やーのこと
お久しぶりです。
前回更新から1年以上が経ってしまいました。
お前誰だっけ?となっている方もそもそも僕を知らない方もいらっしゃるでしょうが、改めて自己紹介をします。
初めまして、やーと言います。
今、ドイツでサッカーをしています。
僕がどういう人生、生活を歩んできたかは過去の記事を良かったら見てみてください。
簡単に説明すると、1年弱イギリスにサッカー留学をして、今年の春に大学を卒業したしがない特撮、乃木坂ファンです。1ヶ月前からプロサッカー選手になるためにドイツに来ています。
元々乃木坂に関することを呟くアカウントとして友達と作成したこのアカウントでしたが、ひょんなことからブログを書き始めました。
なんでこのアカウントで?と思う方もいらっしゃると思いますが、自分をそんなによく知らない不特定多数の人に自分のこと、考えを発信することに興味がありました。むしろ今は自分をよく知らない人にだからこそ好きなことが書けるのかな、と思ったりもします。
一応今後はnoteを自分のリアルアカウントの方で作成するかもしれないので、こっちのアカウントで練習がてら今この記事を書いています。こっちの記事ではある程度特定されない形で書こうとは思っています。
久々の更新すぎてどんな感じで文章を作っていたのかも、喋っていたのかも覚えていませんが、新しくまた更新を始めるということで、今回は自分の事をサッカーの事に関して、高校時代から長々と語りがてら現在の近況を報告していこうと思います。
サッカーの事なんてわからん!!という方は雰囲気だけでも感じてってください。
超絶長いです。でも読んで頂けたら嬉しいです。
1.高校サッカー
高校、大学と僕は国立の学校に通っていました。
大変ありがたいことにどちらも1校目の早期受験で合格できたため、受験期による親の負担や心労はそれほどかけずに済んだのかなと自分でも思っています。
高校のサッカー部はそんなに強くはありませんでした。
一回だけ東京都ベスト16まで行ったかな。かなり独特な指導方法の指導者の方で、入学したらまず歩き方から指導されます。
また、今では珍しくかなりギリギリのラインを攻める方々で、「ボールなんて怖くねえだろ、避けるな」とキーパーの顔面に至近距離からボールを投げ、当てられた選手は口か鼻からか出血。(アウトだな)
その他にもダイレクトプレー禁止、足裏を使うことも禁止など、かなり制限のかかった指導を受けていました。
さらにかなりの思いきったというか無茶な采配をする方々で、春のインターハイでは10番トップ下でキャプテンマークを巻いていた僕が、インターハイ終了後にはセンターバック、夏合宿ではなんと途中からAチームのキーパーをしていました。(!!!!????)
合宿から帰ってからもキーパーとして扱われ、練習試合もキーパーとして出場していました。さすがに最後の夏の大会ではセンターバックとしてギリギリフィールドプレイヤーに戻っていましたが。
当時の僕は変な所で真面目というか素直というか、実直に指導者の言うことを守ってプレーしていました。これが後に大きく自分の首を締めることになります。
また、ひとつ上の代とひとつ下の代がとても監督に好かれ、僕の代はとても扱われ方が雑になっていきました。当時の僕らは高校生ながら、自分たちがどのように扱われているかを敏感に感じており、チームメイトは次々と退部していき最終的には僕を含めて4人しか残りませんでした。
引退する当日も、チーム全体の前で軽く話された後に「じゃあ新チームのミーティングやるから、お前らはもう帰れ」とあしらわれ、みんなで言葉が何も出なかったのを覚えています。
そういう訳で、高校サッカーには良い思い出があまりありません。冬の高校選手権もむしろ見たくないと思うほどです。
幸い大学のサッカー部には早期合格者として大学入学前から練習に参加していたため、引退のブランクはそんなにありませんでした。
大学サッカーこそは…と思いながら大学へ進学。
2.大学サッカー
さて、大学に入学してサッカー部に入部後、さっそく大きな壁にぶち当たります。
絶望的なまでの周りとの連携の合わなさ、技術の無さが露呈したからです。
それもそのはず。高校ではダイレクトプレーが禁止されておりダイレクトプレーの感覚、判断の選択肢が全く無い僕。
普通ならば1タッチで処理するところを僕だけ2タッチかけて処理していれば、それは周りとリズムも合いません。
サッカーを知らない方にも説明するとすると、要は周りとの感覚が僕だけ遅く、大きく違っていたんです。だから全く噛み合わない。
加えて、足裏のボールタッチの感覚はボールとの距離感、体重移動など学べることが多く、実はサッカーにはすごく重要で、習得が速いとされる小学生年代から徹底的に教え込まれたりもします。
しかし3年間足裏が禁止されていた僕はそんな感覚はどこへやら、全くの下手くそになっていました。
(高校3年間どうやってプレーしてたんだって話になりますが、逆に周りも同じリズムのプレーばっかりだったから連携は出来てたのかなと思います)
高校の指導者の指導を非難している訳(暴力はダメだと思うが)ではなく、自分が指導者に反発してでも突き抜けられるメンタルの強さが無かっただけでした。
当時、ひとつ上の代にも10番でキャプテンマークを着けていた先輩がいました。今でも仲が良く当時の話をするんですが、彼は監督に上から言われてよくムキになるのもありますが、反発して足裏使いまくりのダイレクトプレーしまくり。結構怒られていたイメージがあります。
でも当時から続き今でもずっと上手いままで、最後にはしっかり結果を出していました。だから試合にも出続けるし、キャプテンも任されている。
彼は今アメリカでサッカーをしていますが、彼のようなある意味で“突き抜ける”メンタルが僕には無かっただけでした。
さらに、僕の大学ではいわゆる指導者と呼ばれるコーチ、監督、トレーナーがおらず、首脳学年と呼ばれる3年生の先輩が毎年チームを作ることになっています。
最高学年である4年生になる際に、就職活動に専念するために引退するか、4年生としてチームに残るかを選べる、というシステムになっているからです。
そんなチームの中では自分でプレーしている選手しかいない訳ですから、当然行き届いた指導がされるはずもなく、自分の課題を自分で見つけ全て自分でなんとかする、という状況のチームとなっていました。
客観的なアドバイス自体はありがたいことに先輩から頂けますが、それをどう自分に落とし込むか当時の僕はさっぱりわかっていませんでした。めちゃくちゃ未熟。
話を戻して、そんなこんなで入学当初こそAチームに1試合だけ呼ばれた僕ですが、その後は一番下のCチームに安定。
仲が良く乃木坂を教えてくれたチームメイト(過去記事To my mate - やーのこと参照)もいつの間にかAチームで試合に出ており、当時全然サッカーが楽しくなかった記憶があります。
辞めようかとも思っていた気がします。
ただ、そこでも謎の真面目さを発揮。背はある程度高かったので筋トレを怠らず、オフの日には大学のグラウンドで自主練習を続けます。大学生になって高校生よりも自分で使える時間が増えたからでしょうか。成績は大して良くありませんでしたが。笑
1年目の年が明けた冬ごろにはBチームに昇格します。
余談ですが当時、春合宿と呼ばれていた春に行われる大会合宿では、A,Bチームが先に合宿場に着き大会に参加、最終日にCチームと入れ替わり大学に帰るといったスケジュールでした。
しかし、Cチームが合宿場に到着する日、つまりA,Bチームの最終日に僕は乃木坂の個別握手会(抽選に当たらないと参加できない時間の長い握手会)が被り。
文字通り死にもの狂いでBチームに食い込み、合宿最終日にみんなと一緒に帰らず一人だけスーツケース片手に疲労困憊の中幕張メッセに臨んだ記憶があります。
確か衛藤美彩と若月佑美が2枚ずつかな。疲れすぎてループする元気はなくまとめ出しだったけど。
そんなこんなで2年目に突入。
ここで僕は大学を休学し、イギリスに留学します。Aチームに昇格して公式戦のベンチに入ることも出てきた矢先の事でした。
何故僕がイギリスに留学しようと思ったか、イギリスで何があったのかは過去記事ミスター先送り - やーのことを見てみてください。色々語ってます。今見るとすげえ恥ずかしい。いつできは今でも大好き。
なんやかんやあって、進路希望を教員→海外プロサッカー選手、サッカーでお金を貰うことに変えて帰国。
帰国して大学に復学後、自分の代が首脳学年としてチームを作る年になりました。
僕は休学して厳密にはひとつ下の2年生に合流したんですが、ありがたいことにサッカー部の中では変わらず3年生の代として扱われました。
高い金を払ってイギリスに行った成果か、試合にもスタメンで出たり出なかったり、ある程度主力として活動できるようにもなっていました。
ただやはりチームは監督、コーチがいる訳でもなく、モチベーションもバラバラ。スタメンを決めている副主将と喧嘩してスタメンを外される。次第に違和感を感じていき、
「果たして自分はこの環境にいて良いのか」
「イギリスの時の決心が鈍らないか」
と考えるようになります。
一度僕の所属していたサッカー部の地域貢献の活動などが某有名サッカーサイトで取り上げられ、ちょびっとだけバズったみたいですが、その中では“プロ志望者ゼロ”という見出しがされていました。現にOBにプロいないんだけど。
「自分はプロを目指している」と断言、声を上げるにはあまりにも自分の実力も自信も足りず、このシーズンで大学のサッカー部を引退、去ることを決めます。
結局上位リーグとの入れ替え戦で大敗、自分の代が4年生になるタイミングで引退し、チームを去りました。
ただ、この時の同期のチームメイトには色んな面でとても感謝しており、今でもとても仲が良いです。
そこからは社会人のチームのセレクション漬けの日々でした。そして、幸い家から楽に通えて一番カテゴリーが高いチームに合格、入団することが決まります。
3.社会人サッカー
晴れて大学サッカーのリーグからステップアップし、さらに上のカテゴリーでプレーすることになった僕。
しかし、この時年次的には教育実習が始まる年でした。僕は教育学部だった為、教員免許取得が卒業要件となっています。つまり小学校4週間、中学校2週間の実習に参加する必要があったんです。(ちなみに老人ホームにも1週間行きます)
その時の僕の病んでる様子や出来事はまたしても過去記事深夜テンション - やーのことを見てみてください。なんか病んでます。
教育実習など大学の行事をこなしつつも活動に参加、1年目には社会人の全国大会にも出場するなど色んな経験をしました。
1年目には大して出場機会もなく、ベンチに入ったり入らなかったりを繰り返す程度でしたが、自分の中では確実に力が伸びていると実感できた1年でした。
しかし、チーム2年目の去年は新型コロナウイルスが流行。
感染蔓延が落ち着いた時期にもチーム活動が出来なかったこともあり、全国大会の予選が中止になったり、リーグ戦も半分の試合数になったりと様々なイレギュラーがありました。
そんな中、同じく感染蔓延が落ち着いていても様々な事情でチームの活動がストップしたJリーガー、強豪チームの大学生、コロナの影響でリーグが中止になって帰国した海外リーガー、はたまた高校生などと集まって一緒に元代表の方に指導をしていただく日々を過ごしていました。
全員が自分よりも上手く、また速い環境での日々は大変でもあり、とても楽しいものでした。
チームの活動が再開した後も出来るだけ参加できるようにし、元代表の方の練習→バイト→チーム練習などハードな日もありました。それだけ貴重で自分の身になる場だと感じていたからです。もちろん感染蔓延には最大限気を付けながらの参加、でしたが。
出場機会は1年目よりも断然増え、チームの調子も良く、ついにリーグ昇格を果たします。
しかし、元々大学卒業後は海外でサッカーがしたい僕。チームとの契約は1年ごとの契約なので、次の契約更新をしてしまうと卒業後のタイミングでは海外移籍が出来なくなってしまいます。
その為、リーグ終了と同時にチームを退団。
退団した後私生活でも色々あり(また書きます)、
サッカーを続けるか否かの選択に悩みますが、続けることを決め、毎日元代表の方の練習に参加し、コンディションや技術を磨いていました。
そして今年の3月に大学を卒業。
その後、所属していた社会人チームの繋がりからポルトガルのチームに練習参加(サッカーでは数回もしくは数週間の練習参加をして認められたら入団、という形が多いです)の話が上がりますが、予算的に頓挫。
次にイギリスの時の繋がりからスウェーデンにほぼ確定しますが、国境閉鎖やリーグが始まらないとのことで土壇場でダメに。
最終的に国境が開き、サッカーの環境が整っているドイツに渡航を決めます。
4. 今
1ヶ月前にドイツに渡航してきた僕。
ヨーロッパではリーグ戦が始まるのが8.9月あたりなので、それまでにチームを決められたらと思っていましたが、どうやら僕はかなりギリギリのタイミングでこっちに渡ってきたみたいでした。
ほぼほぼ新入団や練習参加が一通り落ち着き、どのチームにも残りの枠は数人しかいないという状況だったからです。
代理人(チームと自分のコミュニケーションを取り持ってくれる人のことです)の方と話し、まずはドイツ5部のチームとの契約を目指そうという目標に至ります。それは何故か。
ドイツでサッカーする訳ですから、使われる言語は当然ドイツ語です。しかし日本人には大抵ドイツ語は理解できません。
その為、ドイツ語が使えない = コミュニケーションが取れないということを差し引いても、
こいつがうちのチームに欲しい!!!と監督またはチームの代表に思わせる必要があるのです。
基本的に日本人の技術、俊敏性や体力ではドイツ1年目では6,7部からのスタートであり、実力が頭ひとつ抜けている選手が5部に入団できるそうです。
また、ドイツは3部からプロリーグですが、4部から基本的にほぼプロ契約、もしくはそれだけで生きていける給料が発生するそうです。4部からサッカーで食べていると言える、と代理人の方が説明してくれました。
ただ1年目からドイツ4部以上と契約できる日本人はほとんど、というかまず練習参加すら無理な為、まずは5部を目指そうという話になりました。
じゃあ、ドイツ5部ってどんなレベルなの?という話ですが、それは僕にもよくわかっていません。J3(日本3部)と同じという人もいれば、JFL(4部相当)やその下の地域リーグ1部と同列、という人もいます。
ただ、そのチームのスタイル、監督の戦術、好まれるプレーなどは人によって違う為、その分その人に合っているチームや合わないチームはもちろんあると思いますし、
ただでさえ5部リーグだけでも何個もあるので、このチームはダメでもこのチームにはOKということが多々起こります。
なので、一概にどのレベルというのは説明できません。
ただ、間違いなく日本の5部よりは環境は良いということは言えると思います。
基本的に小規模であってもホームスタジアムであったり、人工芝のグランド、ロッカールームなどをチームが保有しているからです。金銭面での待遇も恵まれていると思います。もちろんチームによって差異はありますが。
さて、ここから5部のチームの練習参加の日々に突入します。
1つ目の5部のチームは渡航後4日目で練習参加をしました。
ドイツサッカー初日+時差ボケMAXということもあり個人的にもあんまり上手くいきませんでしたが、監督やコーチ陣からの評価は悪くなかったようです。
ただ、チームの会長がほぼ全ての実権を握っているらしく、会長からの評価を得られず2回の練習参加で終了。
(後日、4部から中盤の選手を二人入団させることが確定していたことが判明。そういうことね)
2つ目のチームへの練習参加はわりとすぐに決まり、予定していた日程よりも早く参加したので結構バタバタでした。自主練後にコンディション調整でめちゃくちゃダッシュしてたら今から1時間後に行けと連絡が来たくらいです。
さらにその参加する日の2週間前に、僕と全く同じポジションの選手を3部のプロチームから獲得したとのことで内心ブルーでしたが、僕のプレー自体はわりと会心の出来で2回目の参加後に
「電話番号を教えてくれ、そして来週からも練習に参加してくれ」
と言われたので「来たか!!!!????」と内心ウキウキでしたが、後日代理人に「冬に獲得したい」と連絡が入りました。さすがに冬まで無所属で待つことは出来ないので次のチームへ。
3つ目のチームは、いつも自分が自主練で使っていた人工芝のグラウンドを持つチームでした。
小規模ながらホームスタジアム(7500人入ると書いてあるがほんとか?)、人工芝のフルピッチ1面、天然芝という名の雑草フルピッチ1面、バーとテラスが屋上に付いたクラブハウス、シャワールーム付きの個人ロッカー、練習着と公式戦のユニフォームは毎回支給されるなど設備はダントツで整っているチームです。
スペイン人の監督で練習参加の選手に厳しく、通常であれば2,3回練習を見て合否を決めるところを1回だけで打ち切ったりとなかなかヘビーなチームでした。それでいてチームのレベルもそれまでの練習参加した2チームより高い。
ただ、なんとか1回目だけで打ち切られず、2回目、3回目、4回目と回数を重ねていき、「次の練習試合に出てもらい、そこで最終決定をする」と言われました。
内心緊張はしていましたがそんなガチガチになるほどではなく、程よい緊張だなと自分では感じていたのですが、
まさかのミスでオウンゴール\(^o^)/
あ、このチーム終わったと思いましたが、それまでの練習で信頼を得ていたのか次の練習にも呼ばれ2週間が経過。
練習参加から3週間が過ぎた5日前に、監督から入団の許可が下りました。
ただこのチーム、設備は整っていても選手に払うお金が本当に無いらしく、試合にいつも出ているベテランの選手でもあんまり貰ってないそうで、僕が契約してもお金は出ないもしくはほんのちょびっとだそうです。
イギリスから帰国した時から卒業後は海外と考えていたため、貯金はある程度貯まっていましたが、ドイツ1年目はワーキングホリデービザで働きながらの生活に決まりました。
そして、明日書類にサインをして契約成立です。
これが、最近の近況です。
さいごに.
大学卒業後に、いわゆる就活をせずに海外でサッカーすることを選ぶにあたって、周りから色々言われたこともありました。一応国立大ですし、安定した人生のルートには乗っていたからだと思います。
なんでわざわざそんな事するの?とか現実的に考えなよ、とか色々。
「ああ、たぶん俺ってそんなに期待されてないんだろうな」
高校の時に感じていたことだからか、今でも敏感に感じ取れることがあります。代理人の対応や反応からもたまにそれを感じています。
期待される = 成功すると思われている とはちょっと違うかもしれませんが、こいつは成功するって思われていないというのは、プレッシャーを感じる時に以上にしんどい時があります。無力感という言葉よりはもう少し暗い感情かな。説明できないけど。
僕はあまりメンタルが強くないというか、反骨心をバネに、ということは上手くないタイプなので、好き勝手言ってた奴らを見返そうとか、自分に対する見方を全てひっくり返してやろう、というものがそんなに強くありません(ちょっとだけ思ってはいます)。ただ自分が言われた事、感じたこと、されたことに対して悲しむことしかできません。
それでも、ほんのたまにだけど、唐突に沸き起こる、サッカーが楽しいという気持ちに動かされてしまう自分を、バカだなぁと思いつつも大切にしたいです。
別になんかもうサッカーが好きって訳ではないと思います。しんどい事しかないし、生活は不安定だし、サッカー好きだなあって思うこともないし。
ただ、サッカーって楽しいなあって思う瞬間だけは、毎回いつも唐突に来るんです。
自分のことも別にそんな好きって訳じゃないけど、楽しいと思ってバカみたいにまだ続けている自分はなんかすごいんじゃないかと、思います。
歳の問題的にもあと何年やれるかわからないけど、やれるところまでやってみたいです。
自分のことをもう少し色んな人に知ってもらいたくてこの文章を書きました。
まんまのことだけど、ここに来てブログタイトル回収アツくね?となってこのタイトルにしてます。
また書きます。
読んでいただきありがとうございました。👋