底辺声優の所感を読んだ底辺学生の所感
明けましておめでとうございます。(遅い)
2020年ももう2ヶ月が経ちました。皆さんはどうお過ごしでしょうか。
僕は最近「ペンギンの島」というアプリにハマってます。要はお金とペンギンのハートを貯めてペンギンの住む島を拡張するという。
これがまたやめられない止まらない。僕の推しは福袋ペンギンです。
まあそれはどうでもいいんですけど。
底辺声優の所感、というnoteをご存知でしょうか?
この文章を書いている2月25日現在、Twitterのトレンドに挙がっている、ある元声優の書いたnoteのことです。(実際にブログを挙げた日には触れてはいけません)
底辺声優の所感|みちる|note
↑リンクです
詳しい内容は上のリンクを見てほしいので省き、ここでは僕がnoteの内容を見たという前提で感じたことを書きます。その世界で生きている人達には申し訳ないですが、勝手な憶測、偏見マシマシです。まあブログだしそれでもいっか。
是非読んでみてください。
noteの内容自体は、少し冷たく言ってしまえばどこにでもある話です。
好きなものだけでは生きていけなかった。
だから生きていく為に好きなものを諦めて別のものを選んだ。まあ最終的にその選んだものが新しい"好きなもの"になりそうな訳ですが。
生きていく為に、と書いたのは、文字通りお金の為です。僕のような、実家暮らしで帰ればご飯が用意されており、手厚いサポートを受けて生きていく、のではなく、自分でお金を貰い自分でお金を使ってご飯を作って生きていく生活です。
noteにも記載されていますが、筆者は自分の声優としての付加価値を高めるために、様々な習い事をしていたと述べています。
確かに、ただの声優よりも「楽器が弾ける」声優、「ダンスができる」声優、「外国語ができる」声優など、何かしらのプラスアルファ、特徴を持っていた人間の方が仕事の幅、舞い込んでくる依頼、オーディションで勝ち取る仕事の数は増えそうだと素人の僕でもわかります。それ以外の芸能の話は正直全くわかりませんが。
でも本来、声優であれば「演技」の上手さで評価されるべきであり、その他は全てプラスアルファのものなはず。
しかし、現実は全く異なり、プラスアルファの方が出来る人間が選ばれ、その人間に演技を1から教えていく、という逆転が起きているようです。
特徴(プラスアルファ)>>演技という優先度となった世界において、仕事を貰うため、プラスアルファを身につけるためにお金を費やした、だからお金が足りなかった。ということでしょうか。
正直自分は最初、筆者が何に文句をつけたかったのか、何をおかしいと考えていたのかわからなかったんですが、スポーツの世界で置き換えてみるとちょっとわかった気がします。
サッカーでは、
- 足が速い
- 脊が高い
- テクニックがある
- 身体が強い
- ドリブルが上手い
- シュートが上手い
- ボールを奪うのが上手い
とかがその選手の特徴と言えるでしょうか。
野球では、
- 投げる玉めっちゃ速い
- 玉めっちゃ遠くまでなげられる
- 足が速い
- バッティング超絶飛ぶ
- どんなボールでもバットに当てる
- どんなボールでも取る
になるんですかね。
どんなスポーツでもどれか一つ、プレーを見てすぐわかるような特徴=プラスアルファがある選手が評価されやすい。ここまでは声優の世界と同じです。
じゃあ、声優の世界における「演技」とはスポーツの世界では何にあたるのか。僕は最低限の「平均的な能力の高さ」だと思います。
どういうことなのか、サッカーで例えてみると、最低限のパスとトラップの巧さ、キックの精度などがあって、それにプラスして「ドリブルが上手い」という特徴がある選手が上にいきやすいということです。
めちゃくちゃドリブルが上手くて、相手選手を全員抜いたとしても、シュートがめっちゃ下手くそだったら結局点は取れずにチームは勝てませんからね。
野球だったら、めちゃくちゃパワーがあってボールに当たればホームランになるのに、全然バットがボールに当たらない、というようなものでしょうか。
スポーツ選手のプレーが
平均的な能力の高さ+その選手の特徴
から成り立っているとすると、
声優の演技は
平均的(様々なキャラやキャラの状況、声色?)な演技力+その声優の特徴
となりそう。
で、筆者はこの特徴>>演技力となっているのをおかしいと言ってるのかと。
まあ。
極端に言えば足が速い>>サッカーの巧さになるわけですからね。
文中で「むしろ演技を1から教育しよう」という表現がありました。ということは全くの素人、もしくは能力が低いという事例があるということ。
以上を踏まえると、
めっちゃ足が速いけどボール扱いは素人の選手が監督に試合で使われる。
ボールを遠くまで投げられるけどそもそもボールをグローブで取れない選手が出場する。
となる。
なるほど、これは文句も言いたくなる。
「俺の方が全然上手いのに」と思ってしまう。
こんな感覚なんでしょうか。いやわかんないですけど。
そしてもう一つ、この筆者の場合は声優に「なりたいけどなれなかった」のではなく、事務所と契約した時点で夢であった「声優」という職業には就けていました。
なりたいものになれなかった、諦めて別の道に進んだ、というありふれた話ではなく、
なりたいものにはなった、でもそのまま生活を続けることはできなかった、という話です。
苦心してなりたいものにはなったはいいが、それで生活出来るほど世間は甘くはなかった。
じゃあどうすりゃええねん。
というのが肝で。
実際には、そもそも声優になりたいけれどなれない方なんてわんさかいると思います。声優だけでなく、どの職業についてもそうかもしれません。
それが能力の問題なのか、経済的な問題なのか、若い方は家庭の問題もあるかもしれませんね。それはわかりません。
それらの問題を乗り越えて今の職業についたのに、その先には苦しい生活が待っていたということ。
どこのレベルで満足するか、という問題なんじゃないかと思います。
筆者がどこを目指していたのかは知りませんが、声優になる、というのが目標なのであれば既に叶っているといえます。
声優という肩書きがあれば充分、バイトと掛け持ちして生きていければいい、という人もいれば、声優として貰うお金だけで生きていきたい、アーティスト声優として単独ライブをしたい、誰もが知る声優になりたいなど声優に関しても色々な目標がありますが、この人はいったいどこを目指していたんでしょうか。
ひたすら上へ上へ進んでいたんでしょうか、それとも贅沢は言わないから生きていけるだけのお金が稼げればいい、という感じだったんでしょうか。
サッカー選手として貰うお金と、働いて貰うお金の両方で生活出来れば良い、と思っていた僕はこれを読んで少しゾクッとしました。
このnoteの最後に、こんな言葉があります。
"7年間、苦しんで、苦しんで、苦しんだからこそ、新たな道を進むきっかけを得られたのだ。なにも無駄なことなんてなかった。とても充実した声優生活だったと思う。"
この言葉を言えるのは、実はとてもすごいことなんじゃないかと思います。
僕はメンタルが弱い(この言葉でまとめるべきかはわからんが)ので、過去の自分の判断や選択を後悔ばかりします。
あのチームじゃなくて別のチームを選べば良かった。
別の高校に進学するべきだった。
数えたらキリがありませんし、よく考えたらあの時それはそれで良かった、と思うときもありますが、それでも「あの時ああしていたら、今頃はもっと良かったかもしれない」というIFの可能性を考えてしまいます。
考えてもしょうがないんですけどね。
そして、結局自分の求める結果に繋がらなければ全て時間を無駄にしたと考えてしまう。
というような自分の頭の中と比べて、"なにも無駄なことなんてなかった"と言える筆者は素直にすごいと思うし、尊敬さえします。
世の中にはこんな人がいるんだと勉強になりましたし、自分のモチベーションになりました。
近い将来、彼女の次の目標が達成されるのかどうかはわかりませんが、精一杯やりきれるようささやかながら応援しようと思います。
おしまい。
めちゃくちゃ偉そうなこと言ってるけどこの人俺より年上なんすよねぇ。
もうなんか疲れたから確認作業とかしないで寝る!また後日見返して訂正する!