大人への近道
こんばんは。
最近海外での生活をしていく中で自由な時間が増えたので、文字を書く仕事をたまにしています。仕事と言って良いのかはわかりませんが。
そんな中でなんか久しぶりにブログ書くかな~と思って下書き欄を覗いたら、なんと去年の年末に書き上げていた投稿が出てきました。
ええ……?と思いつつ見返してみるとまあまあ面白かったのでそのまま載せることにしました。書き直すの面倒だし。
去年の年末ってそんな時期だっけ!?とでも思いながら読んでってください。僕ももうそんな経つの!?ってびっくりしました。
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相変わらず地球の裏側でサッカーしてます。
年内最終戦の翌日に日本に一時帰国、また戻ってくるつもりでしたが、紆余曲折あってそのまま拠点が変わりそうです。
海外でサッカーは続けます。僕もまだどういう状態での生活になるかはわかっていないので、またブログで報告します。恐らく2月くらいには確定かな~。多分いい報告ができるんじゃないかと思います。
今日は短いですが、初心に帰って乃木坂の事について語りたいと思います。日本に帰国する飛行機の中でこれを書いています。
今回は特に自分の独断偏見価値観マシマシの文章になってますので、あーこういう事を思う人もいるんだなぁ程度に見てください。そんなに大人数にこのブログが見られているわけではないけど、メンタル弱いので叩かないでください。(ほんとに)
ある一期生の、僕と同い年のメンバーが、卒業を発表しました。
特段推していたわけでも、握手してもらったこともありません。ただ同い年だからと他のメンバーよりは多少違った目で見ていた節はあるかもしれません。
この歳になると、僕は大学を出てから社会経験をせずに海外へ出た為、その事について多少なりとも周りから色んな意見を言われることがあります。
僕ですら言われたり考えたりすることがあるんだから、僕が好きなアイドルグループのメンバーは、他の人間からその事についてもっと言われたり考えたりすることがあるんじゃないか。
いやわからんぞ、例えば今の芸能活動という物を社会経験と捉えているとしたら、もう彼女達はとっくに社会人を何年も続けているってことだもんなあ。
いやいや、果たして芸能活動と社会経験をイコールで結びつけちゃっていいのか???そもそも何をもって社会経験と言えるんだ???
数ヵ月前からそんなことを考えていた最中、その同い年のメンバーの熱愛報道が出ました。
結構自分の中でも意外というか、あの人そんなことするタイプなんだ~って思ってました。
報道が出た後のTwitterでは、それはそれは色んな考えや感想が飛び交い、見ててめちゃくちゃ興味深いものでした。
そして今回の卒業発表後のTwitterもうねりにうねっています。カオス。
報道された当人へのバッシング。
他のメンバーの扱いとの差に対する運営への不満。
当人への励ましの声。
そんなことをするあの人も可愛いという意見(これはマジですごいと思う)。
色々な意見が存在します。
僕個人はといえば、まあそりゃ叩かれるのもしょうがないかな、という認識です。
彼女がこの10年間どのような事を思いながら活動をしてきたのか、はたまたどんなことを裏で行っていたのかは一ファンである自分たちからは大してわかりません。もしかしたら周りにはもっとえげつない事をしていたメンバーもいる可能性もあります。
しかし24歳という年齢ならば、この事が世間に明るみになればどういう事が起きるかはわかるだろうし、今までに明るみに出たメンバー達の前例からもある程度予測はできると思います。
そしてひとりの大人として、自分の起こした事に責任を持つ、というのは当たり前のことです。それは芸能活動や社会経験の有無などは関係なく、ある程度歳を重ねればわかることです。
加えて、なぜ事を起こした本人が未だに番組等に出演、何もしていないメンバーに日の目が当たらないのか、という声にも多少同意します。
間違いを起こした人間と、最初から在り方を守って活動している人間が同じラインに立つのは僕も許せないタチの人間です。
これがベスト、と頭では理解していても感情が着いてこないといったところでしょうか。
十代二十代の青春を過ごしている女性に恋愛を禁じることは不可能、という意見については僕は違うんじゃないかと思います。
それはその本人が、アイドルという職業は恋人の存在がマイナスに働く事を理解した上でグループに所属したはずだからです。
周りも同じく恋愛していようが、結局は自分のリスク管理の部分なんじゃないでしょうか。バレたらまずいというのは当人も重々承知しているはずです。
簡単な言葉にしてしまえば、自業自得。
ただ、一度間違いを犯したからといって、二度と同じラインに立てないのか、と言えばそれもまた違うんじゃないかとは思います。
皆さんがご存じの通り、乃木坂には前例にあたる人物がいますよね。
彼女は自分の言葉でファンの前で話をし、その後も活動を続けました。
果たしてそれでチャラになったのかと言えば、それは人それぞれの感じ方があるのでわかりません。
ただ、絶対にマイナスの感情からは多少なりともプラスには動いたんじゃないかと思います。事件を起こしてからもあれだけグループの最前線で活動していれば。
それでもプラマイゼロと捉えたかもしくは、むしろ最前線での姿を見たくないと思う方もいたかもしれません。あれだけ事件の後も長期間活動しても、起こしてしまったことはゼロになりませんから。
アイドルという職業はそういう仕事です。
スポーツの世界でも同じような事があります。いわゆる戦犯と呼ばれる事です。
その人のミスで試合に負けた。はたまたその人が点を取れなかったから勝てなかった。戦犯と呼ばれる原因は色々ありますが、どれも一気に周りからの信頼を失うことがあります。そういう世界です。
サッカーに限って言えば、その試合からもうその後試合に出れなくなる、といったことも普通に起こりますし、最悪の場合契約解消といったことまであり得ます。
ただ、そこまでに積み重ねた信頼、実績によってはまた試合に使ってもらえたり、ミスを帳消しにするチャンスを貰えたりする機会が増えていきます。要は周りとの関係によってその後が変わっていくわけです。
しかし、世界的に有名なチーム、国の代表選手などは一回のミスが永遠に付きまとうことになります。有名な例としては、ずっと昔のW杯の試合で戦犯になってしまったコロンビア代表の選手がファンに殺害されるといった事件が起きています。
昔のみならず、今でも有名な選手には殺害予告、家族に危害が加わる可能性が付きまとって消えません。
これはもう完全に知名度の問題だと思います。世界的な有名な選手にはそれだけ多くの注目が集まりますし、はたまた現代ではテレビ、ライブ配信などのデジタル機器の発達によって映像に残りやすいということもありますから。
知名度といった事に関しては、アイドルなんかは特にそうなんじゃないでしょうか。
世界的に有名と言われれば話は変わってきますが、芸能活動をしている上でメディアへの露出、自分という存在を知って貰うということはアイドルと切って話すことはできません。知名度というのはアイドルのステータスでもありますから。
その分、何か事件が起きればすぐに広まりますし、誹謗中傷の的にもなりやすい。なぜなら皆が知っているから。
知っている人の母数が増えれば増えるほど極端な考えを持つ人の人数も増えていくということですからね。
最終的に彼女はグループを卒業することに決めましたが、その後どんな人生を歩むのか、ファンには何もわかりません。
ただ、10年間という長い時間アイドルという職業を頑張ってきた分、多少は報われてほしいと思います。
スポーツの話と同じく、やってしまったことは変わらないけど、それまでに積み上げてきた事も変わらないと思うからです。
同い年の彼女がその後どういうことをしていくのか興味はありますが、そっと胸にしまっておこうと思います。
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そういえば飛行機の中が暇すぎて書いたんだったこれ。
あの時から7ヶ月経ってるけど、人間って少し時間が経つと考え方とか変わっていたりするから面白いですよね。昔のブログ見たりすると今と全然違うこと書いてたりするし。
また書きます。👋
やーのこと
お久しぶりです。
前回更新から1年以上が経ってしまいました。
お前誰だっけ?となっている方もそもそも僕を知らない方もいらっしゃるでしょうが、改めて自己紹介をします。
初めまして、やーと言います。
今、ドイツでサッカーをしています。
僕がどういう人生、生活を歩んできたかは過去の記事を良かったら見てみてください。
簡単に説明すると、1年弱イギリスにサッカー留学をして、今年の春に大学を卒業したしがない特撮、乃木坂ファンです。1ヶ月前からプロサッカー選手になるためにドイツに来ています。
元々乃木坂に関することを呟くアカウントとして友達と作成したこのアカウントでしたが、ひょんなことからブログを書き始めました。
なんでこのアカウントで?と思う方もいらっしゃると思いますが、自分をそんなによく知らない不特定多数の人に自分のこと、考えを発信することに興味がありました。むしろ今は自分をよく知らない人にだからこそ好きなことが書けるのかな、と思ったりもします。
一応今後はnoteを自分のリアルアカウントの方で作成するかもしれないので、こっちのアカウントで練習がてら今この記事を書いています。こっちの記事ではある程度特定されない形で書こうとは思っています。
久々の更新すぎてどんな感じで文章を作っていたのかも、喋っていたのかも覚えていませんが、新しくまた更新を始めるということで、今回は自分の事をサッカーの事に関して、高校時代から長々と語りがてら現在の近況を報告していこうと思います。
サッカーの事なんてわからん!!という方は雰囲気だけでも感じてってください。
超絶長いです。でも読んで頂けたら嬉しいです。
1.高校サッカー
高校、大学と僕は国立の学校に通っていました。
大変ありがたいことにどちらも1校目の早期受験で合格できたため、受験期による親の負担や心労はそれほどかけずに済んだのかなと自分でも思っています。
高校のサッカー部はそんなに強くはありませんでした。
一回だけ東京都ベスト16まで行ったかな。かなり独特な指導方法の指導者の方で、入学したらまず歩き方から指導されます。
また、今では珍しくかなりギリギリのラインを攻める方々で、「ボールなんて怖くねえだろ、避けるな」とキーパーの顔面に至近距離からボールを投げ、当てられた選手は口か鼻からか出血。(アウトだな)
その他にもダイレクトプレー禁止、足裏を使うことも禁止など、かなり制限のかかった指導を受けていました。
さらにかなりの思いきったというか無茶な采配をする方々で、春のインターハイでは10番トップ下でキャプテンマークを巻いていた僕が、インターハイ終了後にはセンターバック、夏合宿ではなんと途中からAチームのキーパーをしていました。(!!!!????)
合宿から帰ってからもキーパーとして扱われ、練習試合もキーパーとして出場していました。さすがに最後の夏の大会ではセンターバックとしてギリギリフィールドプレイヤーに戻っていましたが。
当時の僕は変な所で真面目というか素直というか、実直に指導者の言うことを守ってプレーしていました。これが後に大きく自分の首を締めることになります。
また、ひとつ上の代とひとつ下の代がとても監督に好かれ、僕の代はとても扱われ方が雑になっていきました。当時の僕らは高校生ながら、自分たちがどのように扱われているかを敏感に感じており、チームメイトは次々と退部していき最終的には僕を含めて4人しか残りませんでした。
引退する当日も、チーム全体の前で軽く話された後に「じゃあ新チームのミーティングやるから、お前らはもう帰れ」とあしらわれ、みんなで言葉が何も出なかったのを覚えています。
そういう訳で、高校サッカーには良い思い出があまりありません。冬の高校選手権もむしろ見たくないと思うほどです。
幸い大学のサッカー部には早期合格者として大学入学前から練習に参加していたため、引退のブランクはそんなにありませんでした。
大学サッカーこそは…と思いながら大学へ進学。
2.大学サッカー
さて、大学に入学してサッカー部に入部後、さっそく大きな壁にぶち当たります。
絶望的なまでの周りとの連携の合わなさ、技術の無さが露呈したからです。
それもそのはず。高校ではダイレクトプレーが禁止されておりダイレクトプレーの感覚、判断の選択肢が全く無い僕。
普通ならば1タッチで処理するところを僕だけ2タッチかけて処理していれば、それは周りとリズムも合いません。
サッカーを知らない方にも説明するとすると、要は周りとの感覚が僕だけ遅く、大きく違っていたんです。だから全く噛み合わない。
加えて、足裏のボールタッチの感覚はボールとの距離感、体重移動など学べることが多く、実はサッカーにはすごく重要で、習得が速いとされる小学生年代から徹底的に教え込まれたりもします。
しかし3年間足裏が禁止されていた僕はそんな感覚はどこへやら、全くの下手くそになっていました。
(高校3年間どうやってプレーしてたんだって話になりますが、逆に周りも同じリズムのプレーばっかりだったから連携は出来てたのかなと思います)
高校の指導者の指導を非難している訳(暴力はダメだと思うが)ではなく、自分が指導者に反発してでも突き抜けられるメンタルの強さが無かっただけでした。
当時、ひとつ上の代にも10番でキャプテンマークを着けていた先輩がいました。今でも仲が良く当時の話をするんですが、彼は監督に上から言われてよくムキになるのもありますが、反発して足裏使いまくりのダイレクトプレーしまくり。結構怒られていたイメージがあります。
でも当時から続き今でもずっと上手いままで、最後にはしっかり結果を出していました。だから試合にも出続けるし、キャプテンも任されている。
彼は今アメリカでサッカーをしていますが、彼のようなある意味で“突き抜ける”メンタルが僕には無かっただけでした。
さらに、僕の大学ではいわゆる指導者と呼ばれるコーチ、監督、トレーナーがおらず、首脳学年と呼ばれる3年生の先輩が毎年チームを作ることになっています。
最高学年である4年生になる際に、就職活動に専念するために引退するか、4年生としてチームに残るかを選べる、というシステムになっているからです。
そんなチームの中では自分でプレーしている選手しかいない訳ですから、当然行き届いた指導がされるはずもなく、自分の課題を自分で見つけ全て自分でなんとかする、という状況のチームとなっていました。
客観的なアドバイス自体はありがたいことに先輩から頂けますが、それをどう自分に落とし込むか当時の僕はさっぱりわかっていませんでした。めちゃくちゃ未熟。
話を戻して、そんなこんなで入学当初こそAチームに1試合だけ呼ばれた僕ですが、その後は一番下のCチームに安定。
仲が良く乃木坂を教えてくれたチームメイト(過去記事To my mate - やーのこと参照)もいつの間にかAチームで試合に出ており、当時全然サッカーが楽しくなかった記憶があります。
辞めようかとも思っていた気がします。
ただ、そこでも謎の真面目さを発揮。背はある程度高かったので筋トレを怠らず、オフの日には大学のグラウンドで自主練習を続けます。大学生になって高校生よりも自分で使える時間が増えたからでしょうか。成績は大して良くありませんでしたが。笑
1年目の年が明けた冬ごろにはBチームに昇格します。
余談ですが当時、春合宿と呼ばれていた春に行われる大会合宿では、A,Bチームが先に合宿場に着き大会に参加、最終日にCチームと入れ替わり大学に帰るといったスケジュールでした。
しかし、Cチームが合宿場に到着する日、つまりA,Bチームの最終日に僕は乃木坂の個別握手会(抽選に当たらないと参加できない時間の長い握手会)が被り。
文字通り死にもの狂いでBチームに食い込み、合宿最終日にみんなと一緒に帰らず一人だけスーツケース片手に疲労困憊の中幕張メッセに臨んだ記憶があります。
確か衛藤美彩と若月佑美が2枚ずつかな。疲れすぎてループする元気はなくまとめ出しだったけど。
そんなこんなで2年目に突入。
ここで僕は大学を休学し、イギリスに留学します。Aチームに昇格して公式戦のベンチに入ることも出てきた矢先の事でした。
何故僕がイギリスに留学しようと思ったか、イギリスで何があったのかは過去記事ミスター先送り - やーのことを見てみてください。色々語ってます。今見るとすげえ恥ずかしい。いつできは今でも大好き。
なんやかんやあって、進路希望を教員→海外プロサッカー選手、サッカーでお金を貰うことに変えて帰国。
帰国して大学に復学後、自分の代が首脳学年としてチームを作る年になりました。
僕は休学して厳密にはひとつ下の2年生に合流したんですが、ありがたいことにサッカー部の中では変わらず3年生の代として扱われました。
高い金を払ってイギリスに行った成果か、試合にもスタメンで出たり出なかったり、ある程度主力として活動できるようにもなっていました。
ただやはりチームは監督、コーチがいる訳でもなく、モチベーションもバラバラ。スタメンを決めている副主将と喧嘩してスタメンを外される。次第に違和感を感じていき、
「果たして自分はこの環境にいて良いのか」
「イギリスの時の決心が鈍らないか」
と考えるようになります。
一度僕の所属していたサッカー部の地域貢献の活動などが某有名サッカーサイトで取り上げられ、ちょびっとだけバズったみたいですが、その中では“プロ志望者ゼロ”という見出しがされていました。現にOBにプロいないんだけど。
「自分はプロを目指している」と断言、声を上げるにはあまりにも自分の実力も自信も足りず、このシーズンで大学のサッカー部を引退、去ることを決めます。
結局上位リーグとの入れ替え戦で大敗、自分の代が4年生になるタイミングで引退し、チームを去りました。
ただ、この時の同期のチームメイトには色んな面でとても感謝しており、今でもとても仲が良いです。
そこからは社会人のチームのセレクション漬けの日々でした。そして、幸い家から楽に通えて一番カテゴリーが高いチームに合格、入団することが決まります。
3.社会人サッカー
晴れて大学サッカーのリーグからステップアップし、さらに上のカテゴリーでプレーすることになった僕。
しかし、この時年次的には教育実習が始まる年でした。僕は教育学部だった為、教員免許取得が卒業要件となっています。つまり小学校4週間、中学校2週間の実習に参加する必要があったんです。(ちなみに老人ホームにも1週間行きます)
その時の僕の病んでる様子や出来事はまたしても過去記事深夜テンション - やーのことを見てみてください。なんか病んでます。
教育実習など大学の行事をこなしつつも活動に参加、1年目には社会人の全国大会にも出場するなど色んな経験をしました。
1年目には大して出場機会もなく、ベンチに入ったり入らなかったりを繰り返す程度でしたが、自分の中では確実に力が伸びていると実感できた1年でした。
しかし、チーム2年目の去年は新型コロナウイルスが流行。
感染蔓延が落ち着いた時期にもチーム活動が出来なかったこともあり、全国大会の予選が中止になったり、リーグ戦も半分の試合数になったりと様々なイレギュラーがありました。
そんな中、同じく感染蔓延が落ち着いていても様々な事情でチームの活動がストップしたJリーガー、強豪チームの大学生、コロナの影響でリーグが中止になって帰国した海外リーガー、はたまた高校生などと集まって一緒に元代表の方に指導をしていただく日々を過ごしていました。
全員が自分よりも上手く、また速い環境での日々は大変でもあり、とても楽しいものでした。
チームの活動が再開した後も出来るだけ参加できるようにし、元代表の方の練習→バイト→チーム練習などハードな日もありました。それだけ貴重で自分の身になる場だと感じていたからです。もちろん感染蔓延には最大限気を付けながらの参加、でしたが。
出場機会は1年目よりも断然増え、チームの調子も良く、ついにリーグ昇格を果たします。
しかし、元々大学卒業後は海外でサッカーがしたい僕。チームとの契約は1年ごとの契約なので、次の契約更新をしてしまうと卒業後のタイミングでは海外移籍が出来なくなってしまいます。
その為、リーグ終了と同時にチームを退団。
退団した後私生活でも色々あり(また書きます)、
サッカーを続けるか否かの選択に悩みますが、続けることを決め、毎日元代表の方の練習に参加し、コンディションや技術を磨いていました。
そして今年の3月に大学を卒業。
その後、所属していた社会人チームの繋がりからポルトガルのチームに練習参加(サッカーでは数回もしくは数週間の練習参加をして認められたら入団、という形が多いです)の話が上がりますが、予算的に頓挫。
次にイギリスの時の繋がりからスウェーデンにほぼ確定しますが、国境閉鎖やリーグが始まらないとのことで土壇場でダメに。
最終的に国境が開き、サッカーの環境が整っているドイツに渡航を決めます。
4. 今
1ヶ月前にドイツに渡航してきた僕。
ヨーロッパではリーグ戦が始まるのが8.9月あたりなので、それまでにチームを決められたらと思っていましたが、どうやら僕はかなりギリギリのタイミングでこっちに渡ってきたみたいでした。
ほぼほぼ新入団や練習参加が一通り落ち着き、どのチームにも残りの枠は数人しかいないという状況だったからです。
代理人(チームと自分のコミュニケーションを取り持ってくれる人のことです)の方と話し、まずはドイツ5部のチームとの契約を目指そうという目標に至ります。それは何故か。
ドイツでサッカーする訳ですから、使われる言語は当然ドイツ語です。しかし日本人には大抵ドイツ語は理解できません。
その為、ドイツ語が使えない = コミュニケーションが取れないということを差し引いても、
こいつがうちのチームに欲しい!!!と監督またはチームの代表に思わせる必要があるのです。
基本的に日本人の技術、俊敏性や体力ではドイツ1年目では6,7部からのスタートであり、実力が頭ひとつ抜けている選手が5部に入団できるそうです。
また、ドイツは3部からプロリーグですが、4部から基本的にほぼプロ契約、もしくはそれだけで生きていける給料が発生するそうです。4部からサッカーで食べていると言える、と代理人の方が説明してくれました。
ただ1年目からドイツ4部以上と契約できる日本人はほとんど、というかまず練習参加すら無理な為、まずは5部を目指そうという話になりました。
じゃあ、ドイツ5部ってどんなレベルなの?という話ですが、それは僕にもよくわかっていません。J3(日本3部)と同じという人もいれば、JFL(4部相当)やその下の地域リーグ1部と同列、という人もいます。
ただ、そのチームのスタイル、監督の戦術、好まれるプレーなどは人によって違う為、その分その人に合っているチームや合わないチームはもちろんあると思いますし、
ただでさえ5部リーグだけでも何個もあるので、このチームはダメでもこのチームにはOKということが多々起こります。
なので、一概にどのレベルというのは説明できません。
ただ、間違いなく日本の5部よりは環境は良いということは言えると思います。
基本的に小規模であってもホームスタジアムであったり、人工芝のグランド、ロッカールームなどをチームが保有しているからです。金銭面での待遇も恵まれていると思います。もちろんチームによって差異はありますが。
さて、ここから5部のチームの練習参加の日々に突入します。
1つ目の5部のチームは渡航後4日目で練習参加をしました。
ドイツサッカー初日+時差ボケMAXということもあり個人的にもあんまり上手くいきませんでしたが、監督やコーチ陣からの評価は悪くなかったようです。
ただ、チームの会長がほぼ全ての実権を握っているらしく、会長からの評価を得られず2回の練習参加で終了。
(後日、4部から中盤の選手を二人入団させることが確定していたことが判明。そういうことね)
2つ目のチームへの練習参加はわりとすぐに決まり、予定していた日程よりも早く参加したので結構バタバタでした。自主練後にコンディション調整でめちゃくちゃダッシュしてたら今から1時間後に行けと連絡が来たくらいです。
さらにその参加する日の2週間前に、僕と全く同じポジションの選手を3部のプロチームから獲得したとのことで内心ブルーでしたが、僕のプレー自体はわりと会心の出来で2回目の参加後に
「電話番号を教えてくれ、そして来週からも練習に参加してくれ」
と言われたので「来たか!!!!????」と内心ウキウキでしたが、後日代理人に「冬に獲得したい」と連絡が入りました。さすがに冬まで無所属で待つことは出来ないので次のチームへ。
3つ目のチームは、いつも自分が自主練で使っていた人工芝のグラウンドを持つチームでした。
小規模ながらホームスタジアム(7500人入ると書いてあるがほんとか?)、人工芝のフルピッチ1面、天然芝という名の雑草フルピッチ1面、バーとテラスが屋上に付いたクラブハウス、シャワールーム付きの個人ロッカー、練習着と公式戦のユニフォームは毎回支給されるなど設備はダントツで整っているチームです。
スペイン人の監督で練習参加の選手に厳しく、通常であれば2,3回練習を見て合否を決めるところを1回だけで打ち切ったりとなかなかヘビーなチームでした。それでいてチームのレベルもそれまでの練習参加した2チームより高い。
ただ、なんとか1回目だけで打ち切られず、2回目、3回目、4回目と回数を重ねていき、「次の練習試合に出てもらい、そこで最終決定をする」と言われました。
内心緊張はしていましたがそんなガチガチになるほどではなく、程よい緊張だなと自分では感じていたのですが、
まさかのミスでオウンゴール\(^o^)/
あ、このチーム終わったと思いましたが、それまでの練習で信頼を得ていたのか次の練習にも呼ばれ2週間が経過。
練習参加から3週間が過ぎた5日前に、監督から入団の許可が下りました。
ただこのチーム、設備は整っていても選手に払うお金が本当に無いらしく、試合にいつも出ているベテランの選手でもあんまり貰ってないそうで、僕が契約してもお金は出ないもしくはほんのちょびっとだそうです。
イギリスから帰国した時から卒業後は海外と考えていたため、貯金はある程度貯まっていましたが、ドイツ1年目はワーキングホリデービザで働きながらの生活に決まりました。
そして、明日書類にサインをして契約成立です。
これが、最近の近況です。
さいごに.
大学卒業後に、いわゆる就活をせずに海外でサッカーすることを選ぶにあたって、周りから色々言われたこともありました。一応国立大ですし、安定した人生のルートには乗っていたからだと思います。
なんでわざわざそんな事するの?とか現実的に考えなよ、とか色々。
「ああ、たぶん俺ってそんなに期待されてないんだろうな」
高校の時に感じていたことだからか、今でも敏感に感じ取れることがあります。代理人の対応や反応からもたまにそれを感じています。
期待される = 成功すると思われている とはちょっと違うかもしれませんが、こいつは成功するって思われていないというのは、プレッシャーを感じる時に以上にしんどい時があります。無力感という言葉よりはもう少し暗い感情かな。説明できないけど。
僕はあまりメンタルが強くないというか、反骨心をバネに、ということは上手くないタイプなので、好き勝手言ってた奴らを見返そうとか、自分に対する見方を全てひっくり返してやろう、というものがそんなに強くありません(ちょっとだけ思ってはいます)。ただ自分が言われた事、感じたこと、されたことに対して悲しむことしかできません。
それでも、ほんのたまにだけど、唐突に沸き起こる、サッカーが楽しいという気持ちに動かされてしまう自分を、バカだなぁと思いつつも大切にしたいです。
別になんかもうサッカーが好きって訳ではないと思います。しんどい事しかないし、生活は不安定だし、サッカー好きだなあって思うこともないし。
ただ、サッカーって楽しいなあって思う瞬間だけは、毎回いつも唐突に来るんです。
自分のことも別にそんな好きって訳じゃないけど、楽しいと思ってバカみたいにまだ続けている自分はなんかすごいんじゃないかと、思います。
歳の問題的にもあと何年やれるかわからないけど、やれるところまでやってみたいです。
自分のことをもう少し色んな人に知ってもらいたくてこの文章を書きました。
まんまのことだけど、ここに来てブログタイトル回収アツくね?となってこのタイトルにしてます。
また書きます。
読んでいただきありがとうございました。👋
カジノ初心者はどのように食い繋いでいったのか
こんばんは。
新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が出ている今、皆さんはどう過ごされているでしょうか。
最近は新型コロナウイルスの話題で海外のニュースをよく耳にしますね。それで思い出したので今筆を取っています。よければ。(要は暇だった)
ミスター先送りの回ミスター先送り - やーのことでも言ったように、僕は2年前まで1年弱ほどイギリスにいました。
学生ビザでイギリスに滞在していたので、お金を稼ぐことができず、渡英前に自分で貯めたお金と親からの仕送りで生きる日々です。
しかしイギリス、物価が高い。
サッカー留学だったので、外人に負けないための身体作りもし始めていました。ジムと契約。1日3杯のプロテイン。
そのせいか、途中からは当初貰っていた仕送りよりも少し多く貰うようになりましたが、それでもお金が足りないようになりました。
しかし、学生ビザなので基本的にアルバイトはできません。
厳密に言えば、ギリギリできるにはできるらしいんですが、色々と日本側で親に頼まなければならず、めんどくさいしお金がかかる。そもそもイギリスに行ってからこんなにお金が足りなくなると思っていなかった。
でもこの前親に頼んで仕送り増やしてもらったし、さすがに頼みにくい……
でもご飯はいっぱい食べたい、ひもじい……
そんな時(宣伝しているわけではありません)。
語学学校の韓国人「昼飯いこうぜブラザー」
ぼく「ムリノオカネナイノ」
韓国人「おいおい冗談だろ?10ポンドもあればパスタが食えるじゃねーか」
ぼく「財布15ポンドノ(高えわバカ)」
※当時1ポンド150〜170円ちょい
韓国人「じゃあカジノいこうぜ、一緒に稼いでやるよ」
ぼく「カ ジ ノ!!!!!????」
そうか!!!!
カジノがあった!!!!
(宣伝しているわけではありません)
当時僕が通っていた語学学校はロンドンの中心街にあり、そこには当然カジノも多く存在していました。
毎朝前を通って通っていたのに今まで気づかなかったとは。
そしてその時から通い始めたのがここ。
「HIPPODROME CASINO」です。
ずーっとひっぽどろーむって呼んでいましたが正式名称はわかりません。いやたぶん読み方は合ってるけど。
中心街なので他にもカジノは色々ありましたが、一番規模が大きく一番通ったのがここのカジノでした。
その時まで僕はあまりギャンブルはせず、なんならやばいもんだと思っていました。パチンコスロット競馬賭博などやったことはありませんでしたが、それでも何だかワルになった気がして少しワクワクしながら入ったのを覚えています。(麻雀はできる)
なにしろ日本では経験できないことですからね。捕まってしまいます。(詳しいことは下のリンクを見てください)
入口では屈強なガードマンがおり、パスポートもしくは自分のBRPカード(身分証明用のカード)を提示しなければ中に入れません。
中に入るとすぐにクローク(荷物置き場)があり、鞄やコートなどを預かってくれます。
財布やスマホを持って、いざ。
↑HPの写真です。こんな感じでした
オメー肝心な中の写真撮ってねーんかと思われそうですが。
基本的にカジノ内ではスマートフォンは使用禁止です。それはなぜか。
ディーラーの前でたとえ時間を見るためだけでも、スマホを見るとそのゲームの卓から退席させられます。
なので、カジノの中の写真は基本的に撮ることはできません。他の国は知りませんが僕が行ったところはそんな感じでした。
なので自分で撮れたのは入口の写真と、中のお店の食べ物だけです😞😞
話を戻して。
このHIPPODROME CASINO、ロンドンにあるカジノの中でもかなり大きい部類のカジノらしく、中ではお酒やドリンクを飲みながらゲームをすることができます。
バニーガール(ガチの)がメニューを持って歩いており、ドリンクを頼むとゲームをしている卓まで持ってきてくれます。なんという非日常。
そんな雰囲気の中で様々なゲームをプレイするわけですが、基本的に僕は以下のゲームで闘っていました。
ひとつずつ簡単に説明していきます。
自分の手札のカードの合計で21を目指して、ディーラーとどちらが21に近いかを競うゲームです。
カジノによっても異なりますが、HIPPODROMEでは最低10ポンドから賭けることができました(確か)。
ブラックジャックの面白さとして、
今持っている自分の手札の数字の合計(写真の手前の11)とディーラーの手札の数字の合計(奥の10)を見比べて、自分の合計が21になるのを目指してもう一枚手札を引く(ヒット)か、この数字で勝負するか(スタンド)を自分で選ぶことができる、という点が挙げられます。
プレイヤーは21を目指してカードを引くか引かないかを選ぶんですが、カードの合計が21を越えた時点でその瞬間自分の負けが決まる、というルールに加え。
自分が勝負するかどうかはプレイヤー自身で決められるんですが、ディーラー側は自分の手札が17以上になるまでカードを引かなければならない、というルールがあります。
つまり、ブラックジャックは運の要素も多々ありますが、判断や駆け引きで勝率を上げることができるゲーム、であると僕は思っています。
これらが基本的なルールです。
その他の詳しいルールはめんどくさいので省きますが、
勝ったらチップが2倍もらえ、負けたら2倍失う"ダブルダウン"、
手数が増やせるがリスクも増える"スプリット"、
配られた1回目の手札で数字が21になる(このことをブラックジャックと言います)確率に賭ける"ジャックポッド"
これらのルールも駆使してお金を増やしていきます。
個人的な思い出を言えば、毎回試合の勝利給の30ポンドを持ってカジノに向かい、着いてからまず最初に行うゲームがブラックジャックでした。
ブラックジャックで30→100ポンドに増やし、ルーレットで勝負するというが一連の流れです(その理由はルーレットの時に)。
ルーレットにはそんなに時間はかからないんですが、ブラックジャックにはどうしても初期費用が30ポンドと少ないので時間がかかります。
その為、ずーっと座っているとこちらと喋ってくれるような陽気なブラックジャックのディーラーとは仲良くなり、色んなコツを教えてくれたり、英語のリスニング、スピーキングの勉強になったりしました。そういう楽しみ方もアリなのかもしれませんね。
- ルーレット
カジノの代名詞とも言えるゲームです。
丸い盤上の上に白いボールを走らせ、回ったボールが最終的に賭けた数字の場所に落ちていればチップが貰える、というゲームです。
基本的にはボールが落ちる数字を当てますが、落ちる数字の色、場所にもまた賭けることができます。お金をルーレット用のチップに変換してから賭けることが多いです。
ブラックジャックと異なる点としては、vsディーラーではないことと完全に運ゲーである、ということが挙げられるでしょうか。
HIPPODROMEでは最小チップ1枚(2ポンド)から賭けることができましたが、賭ける場合によっては10ポンドからしか賭けられないこともあります。それについてもこの後説明します。
(ネット上のルーレットゲームの画面です)
ルーレットは赤、黒と交互に分けられた色の数字が12個×3つのゾーン、計36の数字に0を足した37個の数字に賭けることができます。
しかし、数字の賭け方にも色々な種類があるんです。図を使って説明していきます。
(クソ適当な図)
基本的な数字への賭け方は3種類です。赤のパターン、青のパターン、緑のパターンのチップの賭け方があります。
実際に赤、青、緑のチップがあるというわけではなく、ここのチップの場所にいくらかのお金を賭けた時、という意味です。
①赤のパターン
2の数字のマスに赤のチップが置いてあります。
この場合、ルーレットで2が当たったとすると、赤のチップの位置に置いたチップが36倍になって帰ってきます。
(赤のチップの位置に2ポンドのチップを置いていた場合、2×36=72ポンドが貰える)
②青のパターン
4と7のマスの間に青のチップが置いてあります。
この場合、4または7がルーレットで当たった時、青のチップの位置に置いたチップが18倍になって帰ってきます。
(青のチップの位置に2ポンドのチップを置いていた場合、2×18=36ポンドが貰える)
③緑のパターン
8,9,11,12の4つのマスの真ん中に緑のチップが置いてあります。
この場合、8,9,11,12がルーレットで当たった時、緑のチップの位置に置いたチップが9倍になって帰ってきます。
(もうわかるよね?)
このように、賭けるチップをどの位置に置くかによって帰ってくるチップの倍率が変わります。
本当は6つの数字に賭ける6点賭けや3点賭けなどまだまだ賭け方はあるんですが、基本的にはこれらの3つの賭け方で行っていました。
36倍や18倍の配当など、ブラックジャックと比べてすごい見返りがデカくてロマンですよね。
自分がチップを置いていない数字に当たった場合、その他のチップは全て回収されます。
となると、ある程度の量のチップを適当に来そうだなーと思う数字にバラまく、というのが主な戦術です。
しかしその戦術は、ある程度のチップがないと一回自分の予想していなかったマスに当たれば全てを失うということでもあります。
1,3,4,5,7,8,10…と適当に賭けた時に2が当たった時の絶望感たるやもう。
当たればハッピー、外れれば絶望。
これが、僕が絶対にブラックジャックで100ポンド以上に増やしてからルーレットに臨んでいた理由です。その通り、ビビってただけです。
その他にも、
- 1st 12 2nd12 3rd12のマス
→1-12, 13-24, 25-36のどの範囲の数字に当たるかを当てる。当たればチップ3倍
- 1-18,19-36のマス
→1-18か19-36のどちらの範囲の数字に来るかを当てる。当たればチップ2倍
- Odd,Evenのマス
→当たった数字が奇数(Odd)か偶数(Even)を当てる。当たればチップ2倍
- 赤、黒色のマス
→赤の数字が当たるのか、黒の数字が当たるのかを当てる。当たればチップ2倍
- 2:1と書かれているマス
→上・中・下どの列の数字が当たるのかを当てる。当たればチップ3倍
などの賭け方があります。この辺が10ポンドからしか賭けられませんでした。
カジノによってチップ倍率、賭け方の制限など多少の違いはありますが、ざっとこんな感じです。
バカラに関してはブラックジャックの席が空いていない時や暇潰しにしていたので、正直ルールについてはあまり詳しくありません。笑
プレイヤーvsディーラー
ではなく、
プレイヤーとディーラーのどちらが勝つかを当てるゲーム、という点です。
画像にもある通りPLAYER(が勝つことに賭ける)、TIE(引き分けることに賭ける)、BANKER(ディーラーが勝つことに賭ける)の3つのマスがあります。
ルールはカードの合計数の1の位の数字が高い方が勝ち、というものです。
10〜Kの絵柄を含むカードを0としてカウントします。
たったこれだけ覚えれば、もうバカラを楽しむことができます(ほんとはもっと詳しいルールがある)
画像で言うなら、
プレイヤー側はA(1点)+J(0点)+9(9点)=10点。
10の1の位は0→0ポイント
ディーラー側はA(1点)+A(1点)+A(1点)=3点。
1の位は3→3ポイント
なのでディーラー側の勝ちです。もしBANKERに賭けていればチップを貰うことができます。
チップの配当、カードを引く枚数などの詳しいルールについてはこちらを参照してもらえればいいかなと思います。↓(説明に疲れた)
これでゲームの話は終わりです。
HIPPODROMEの話に戻すと、僕は基本的にHIPPODROME CASINOのB1,1,2階にいました。(もっと上があったけど何があったか覚えてない)
1階にはクローク、ゲーム、換金所、ショップなどがありました。
ゲームも上に挙げたもの以外にもたくさんあり、ポーカー、オンラインカジノ、スロットなどなど、バリエーション豊富なので1階には人がたくさんいます。
ブラックジャックは人気がありいつも1つの卓に何人ものプレイヤーが集まり、席が空いていない時もあります。ルーレットはただ周りに立っていればいいだけですが。
バカラは夜中には人が集まるイメージですかね。昼間はそんなに人は集まっていません。
ちょっと怖めの階段を下ってB1に降りると、ゲーム、バーなどがあり、さらにダンサーの女性が様々な衣装を着てポールダンスをしてくれます。
暗い階段を降りた先にあるスペースなので、秘密のアジト感、やべえ奴らの集まり感がすごくて非常に厨二心くすぐられる階でもあります。
(写真はイメージですが、本当にこんな感じでした)
2階にもバー、ステーキハウスなどがありました。カジノの中にステーキハウスがあるので、ゲームで稼いだお金でそのままステーキをたらふく食べる、という方も多いです。
2階のバーで、サッカーのリーグで当時無敗で優勝街道まっしぐらだったチームが負けた時にはもうみんなお祭り騒ぎでした。知らないおっさんとやんややんやしてた記憶があります。
また、「帰国前に100ポンドを300に増やして高級寿司を食べに行こう」と思い立って最後にHIPPODROMEに来た時、見事に爆死した僕に友達が2階のステーキハウスで400gくらい?のステーキを奢ってくれました。これがまためちゃくちゃうまい。なぜかしょっぱい味がしましたが。
当時の僕のインスタのストーリーをスクショしました。下手な字なのがより哀愁を引き立ててますかね。
最後に1つ付け加えると、ここまでずっとカジノの話をしてきましたが、日本では一応現在カジノは存在しないことになっています。
しかし、"アミューズメントカジノ"なるものが日本には存在します。
じゃあアミューズメントカジノとカジノってどう違うの?ってことなんですが。
普通のカジノの流れはこうです。
現金をチップに変換
→ゲームをプレイ
→換金・景品とチップを交換
これに対してアミューズメントカジノは、
現金をチップに変換
→ゲームをプレイ
のみとなっています。
つまり、ゲームに勝って貯めたチップを現金に変えることが出来ません。これは違法ではないんです。
ゲームセンターのメダルゲームをイメージしてもらえればわかりやすいかもしれません。
勝ち続けてメダルを貯めて受付に預け、次回また来た時にメダルを引き出して遊ぶ。当然メダルが無くなるまで遊ぶことができます。
アミューズメントカジノも同じく、店内で貯めたチップは受付に預けることができ、次回来店時にまた引き出して遊ぶ、という楽しみ方をします。
とはいえ、遊ぶゲームやディーラー、雰囲気などは本物のカジノのそれなのでとても楽しめます。
一度だけ友達と六本木のアミューズメントカジノに行きましたが、店員の方のルール説明もとても解りやすく、ディーラーの方や周りのお客さんととても楽しくゲームができました。
ちなみに、その時は500チップ→3000くらいまでいけました。ここが本物のカジノであったらとめちゃくちゃ微妙な気持ちになりましたが。
そこの店ではディーラーは基本バイトの方で、カードのシャッフルなどちゃんと練習するそうです。カードがシャッフルできるだけでなんだかオトナでかっちょいい。
今回はこんな感じです。
だいぶ適当に下手くそな説明が続きましたが、気になったら自分で調べてみたり、スマホゲームをインストールするとちょっと楽しいかもしれません。
今は外にあんまり出れない時期なので、こういう多少な非日常の部分も調べたり見たりするだけならいいかもしれませんね。でも日本ではだめですよ。🙅
海外に行った時はぜひ一度行ってみてください、良い経験になると思います。
でも、自分で遊ぶ金額はしっかり決めておいてくださいね。やりすぎは禁物です。👋
今回乃木坂の"の"の字もねえ!!!!!
底辺声優の所感を読んだ底辺学生の所感
明けましておめでとうございます。(遅い)
2020年ももう2ヶ月が経ちました。皆さんはどうお過ごしでしょうか。
僕は最近「ペンギンの島」というアプリにハマってます。要はお金とペンギンのハートを貯めてペンギンの住む島を拡張するという。
これがまたやめられない止まらない。僕の推しは福袋ペンギンです。
まあそれはどうでもいいんですけど。
底辺声優の所感、というnoteをご存知でしょうか?
この文章を書いている2月25日現在、Twitterのトレンドに挙がっている、ある元声優の書いたnoteのことです。(実際にブログを挙げた日には触れてはいけません)
底辺声優の所感|みちる|note
↑リンクです
詳しい内容は上のリンクを見てほしいので省き、ここでは僕がnoteの内容を見たという前提で感じたことを書きます。その世界で生きている人達には申し訳ないですが、勝手な憶測、偏見マシマシです。まあブログだしそれでもいっか。
是非読んでみてください。
noteの内容自体は、少し冷たく言ってしまえばどこにでもある話です。
好きなものだけでは生きていけなかった。
だから生きていく為に好きなものを諦めて別のものを選んだ。まあ最終的にその選んだものが新しい"好きなもの"になりそうな訳ですが。
生きていく為に、と書いたのは、文字通りお金の為です。僕のような、実家暮らしで帰ればご飯が用意されており、手厚いサポートを受けて生きていく、のではなく、自分でお金を貰い自分でお金を使ってご飯を作って生きていく生活です。
noteにも記載されていますが、筆者は自分の声優としての付加価値を高めるために、様々な習い事をしていたと述べています。
確かに、ただの声優よりも「楽器が弾ける」声優、「ダンスができる」声優、「外国語ができる」声優など、何かしらのプラスアルファ、特徴を持っていた人間の方が仕事の幅、舞い込んでくる依頼、オーディションで勝ち取る仕事の数は増えそうだと素人の僕でもわかります。それ以外の芸能の話は正直全くわかりませんが。
でも本来、声優であれば「演技」の上手さで評価されるべきであり、その他は全てプラスアルファのものなはず。
しかし、現実は全く異なり、プラスアルファの方が出来る人間が選ばれ、その人間に演技を1から教えていく、という逆転が起きているようです。
特徴(プラスアルファ)>>演技という優先度となった世界において、仕事を貰うため、プラスアルファを身につけるためにお金を費やした、だからお金が足りなかった。ということでしょうか。
正直自分は最初、筆者が何に文句をつけたかったのか、何をおかしいと考えていたのかわからなかったんですが、スポーツの世界で置き換えてみるとちょっとわかった気がします。
サッカーでは、
- 足が速い
- 脊が高い
- テクニックがある
- 身体が強い
- ドリブルが上手い
- シュートが上手い
- ボールを奪うのが上手い
とかがその選手の特徴と言えるでしょうか。
野球では、
- 投げる玉めっちゃ速い
- 玉めっちゃ遠くまでなげられる
- 足が速い
- バッティング超絶飛ぶ
- どんなボールでもバットに当てる
- どんなボールでも取る
になるんですかね。
どんなスポーツでもどれか一つ、プレーを見てすぐわかるような特徴=プラスアルファがある選手が評価されやすい。ここまでは声優の世界と同じです。
じゃあ、声優の世界における「演技」とはスポーツの世界では何にあたるのか。僕は最低限の「平均的な能力の高さ」だと思います。
どういうことなのか、サッカーで例えてみると、最低限のパスとトラップの巧さ、キックの精度などがあって、それにプラスして「ドリブルが上手い」という特徴がある選手が上にいきやすいということです。
めちゃくちゃドリブルが上手くて、相手選手を全員抜いたとしても、シュートがめっちゃ下手くそだったら結局点は取れずにチームは勝てませんからね。
野球だったら、めちゃくちゃパワーがあってボールに当たればホームランになるのに、全然バットがボールに当たらない、というようなものでしょうか。
スポーツ選手のプレーが
平均的な能力の高さ+その選手の特徴
から成り立っているとすると、
声優の演技は
平均的(様々なキャラやキャラの状況、声色?)な演技力+その声優の特徴
となりそう。
で、筆者はこの特徴>>演技力となっているのをおかしいと言ってるのかと。
まあ。
極端に言えば足が速い>>サッカーの巧さになるわけですからね。
文中で「むしろ演技を1から教育しよう」という表現がありました。ということは全くの素人、もしくは能力が低いという事例があるということ。
以上を踏まえると、
めっちゃ足が速いけどボール扱いは素人の選手が監督に試合で使われる。
ボールを遠くまで投げられるけどそもそもボールをグローブで取れない選手が出場する。
となる。
なるほど、これは文句も言いたくなる。
「俺の方が全然上手いのに」と思ってしまう。
こんな感覚なんでしょうか。いやわかんないですけど。
そしてもう一つ、この筆者の場合は声優に「なりたいけどなれなかった」のではなく、事務所と契約した時点で夢であった「声優」という職業には就けていました。
なりたいものになれなかった、諦めて別の道に進んだ、というありふれた話ではなく、
なりたいものにはなった、でもそのまま生活を続けることはできなかった、という話です。
苦心してなりたいものにはなったはいいが、それで生活出来るほど世間は甘くはなかった。
じゃあどうすりゃええねん。
というのが肝で。
実際には、そもそも声優になりたいけれどなれない方なんてわんさかいると思います。声優だけでなく、どの職業についてもそうかもしれません。
それが能力の問題なのか、経済的な問題なのか、若い方は家庭の問題もあるかもしれませんね。それはわかりません。
それらの問題を乗り越えて今の職業についたのに、その先には苦しい生活が待っていたということ。
どこのレベルで満足するか、という問題なんじゃないかと思います。
筆者がどこを目指していたのかは知りませんが、声優になる、というのが目標なのであれば既に叶っているといえます。
声優という肩書きがあれば充分、バイトと掛け持ちして生きていければいい、という人もいれば、声優として貰うお金だけで生きていきたい、アーティスト声優として単独ライブをしたい、誰もが知る声優になりたいなど声優に関しても色々な目標がありますが、この人はいったいどこを目指していたんでしょうか。
ひたすら上へ上へ進んでいたんでしょうか、それとも贅沢は言わないから生きていけるだけのお金が稼げればいい、という感じだったんでしょうか。
サッカー選手として貰うお金と、働いて貰うお金の両方で生活出来れば良い、と思っていた僕はこれを読んで少しゾクッとしました。
このnoteの最後に、こんな言葉があります。
"7年間、苦しんで、苦しんで、苦しんだからこそ、新たな道を進むきっかけを得られたのだ。なにも無駄なことなんてなかった。とても充実した声優生活だったと思う。"
この言葉を言えるのは、実はとてもすごいことなんじゃないかと思います。
僕はメンタルが弱い(この言葉でまとめるべきかはわからんが)ので、過去の自分の判断や選択を後悔ばかりします。
あのチームじゃなくて別のチームを選べば良かった。
別の高校に進学するべきだった。
数えたらキリがありませんし、よく考えたらあの時それはそれで良かった、と思うときもありますが、それでも「あの時ああしていたら、今頃はもっと良かったかもしれない」というIFの可能性を考えてしまいます。
考えてもしょうがないんですけどね。
そして、結局自分の求める結果に繋がらなければ全て時間を無駄にしたと考えてしまう。
というような自分の頭の中と比べて、"なにも無駄なことなんてなかった"と言える筆者は素直にすごいと思うし、尊敬さえします。
世の中にはこんな人がいるんだと勉強になりましたし、自分のモチベーションになりました。
近い将来、彼女の次の目標が達成されるのかどうかはわかりませんが、精一杯やりきれるようささやかながら応援しようと思います。
おしまい。
めちゃくちゃ偉そうなこと言ってるけどこの人俺より年上なんすよねぇ。
もうなんか疲れたから確認作業とかしないで寝る!また後日見返して訂正する!
温泉のススメ
ハッピーハロウィン(遅い)
この前サッカーの大会で鹿児島に行きました。
大会が終わった後、帰りは自由解散だったので自分で飛行機のチケットを買って帰る人もいれば、丸二日かけてチームバスで関東まで帰っていた人もいた中、僕は仲の良いチームメイトと二人でそのまま旅行に出掛けることにしました。
行き先は福岡→大分→大阪→帰宅。
その中で大分。
行くのは2回目なんですが、温泉とご飯に感動しました。(ちょろい)
てことで今回は、特にクソ真面目なことを書くこともなく、適当に行ったことのある場所を中心に大分の温泉を紹介したいと思います。
実際に自分が行った時の印象と記憶で書くので、実際はちょっと違うかもしれません。
- へびん湯(別府三大秘湯)
今回の旅行で一番最初に行った天然温泉。
写真から見てわかる通り、本当に自然の中にポツンってある感じ。
熱さが上から4段階あるんだけど、自分とチームメイトは熱すぎて一番下のやつしか入れなかった。他の温泉みたいに源泉に地下水を足してる感じ?
特徴としてはザ・温泉って感じの硫黄臭のするものじゃなくて、無色透明無臭の温泉だから匂いもつかない。近くの温泉を色々巡った後にここに入って匂いを落とす、のが一連の流れらしい。
荷物を置いたり、着替えたりする小屋とか電気とかは設置されているけど、基本的に天然のものなのでお金はかからない。そして24時間営業。外国人の方や女性の人は水着を着て入る人もいるらしい。(知らないおっさん談)
- 鍋山の湯(別府三大秘湯)
同じく別府の三大秘湯の1つ。
へびん湯と近いので二つまとめて行く人も多いが、こちらは硫黄臭が強く匂いも付くので、この温泉に入ってからへびん湯に行くのがスタンダード。
こちらは視界が開けた場所にあり、絶景の景色が展望できる。温泉も非常に身体が暖まるもので、レンタカーの中で二人して汗だくだくだった。
ここも天然のものなのでお金はかからないが、着替え用の小屋や籠はない。
2016年頃に女性が襲われる事件が発生したため、至るところに注意の看板が設置されている。昼間に複数人で行くことが必須かも。
ここでも知らないおっさんと仲良くなり色々とお話をさせていただいた。温泉は地元の人とすぐ仲良くなれることも魅力の1つ。
- 地獄めぐり
上二つはいわゆるスタンダードな温泉、自分が「入浴する温泉」、というものだったけど、大分には本当に数多くの温泉があり、今から紹介する温泉は「見る温泉」だ。
(縦でしか撮ってなかったので画像が横になる😞ごめんなさい😞)
ちょっと写真があれだけど、見てわかる通り様々な色や性質の天然の温泉、また間欠泉などが見て楽しめる。
「◯◯地獄」という名の名前がそれぞれについており、正式な「地獄めぐり」として2000円の共通観覧券を買えば、合計7つの地獄が楽しめる。ただ◯◯地獄は共通観覧券の7つだけではなく、他にも多数存在するので、閲覧券でどれを観覧することが出来るのか注意が必要。それぞれの地獄で足湯を楽しめるものもある。
余談だけど、温泉の蒸気を利用して作る地獄蒸しプリンというものがある。これは普通だった。やっぱりどんな温泉で作ろうがプリンはプリン。
- やまなみの湯
ちょっと写真は撮ってないんだけど、24時間営業の銭湯のような場所。2000円のナイトコースを購入すれば、22:00-8:00までの時間に仮眠室で布団を引いて寝たり、温泉に入ったりもできる。隣の飯屋で釜飯も食べることができる。
自分たちみたいに夜に大分に着いて宿を探してる人にはピッタリかも。
以上、今回の旅行で行った温泉たちでした。
実は僕は去年にも大分にも行っており、さらに別の湯布院や別府の温泉に行っていたのですが、それはまた別の機会に。
大分イイトコ〜〜。
To my mate
数ヶ月前、以前僕の在籍していた大学の体育会サッカー部が、部員ブログを始めました。
名だたる強豪チームはもう既に大昔から部員ブログを行っており、1人1回、自分の考えやチームとの関わり方を綴る場所となっています。
うちの大学のサッカー部は人数は多いものの、決して強豪と呼べるほどのチームではありませんが、今年のチーム方針として新しいことを始めることが多く、それの一環として始めたんだと思います。
今回はあるチームメイトの話をします。
彼は別にその部員ブログを書いたわけではありませんが、最近同期の部員ブログを読んでいたこともあって、彼のことを書きたくなりました。
意味がわからなかったり、???と思っても読み飛ばして下さい。ただ思ったことを書きます。夜中だし。
過去のブログ「ミスター先送り」(https://costom-my.hatenablog.com/entry/2019/07/04/174659)などを読んで下さった方はわかるかもしれませんが、僕は1回大学のサッカー部を途中休部、イギリスにサッカー留学をしており、帰国後にまた復部しています。
特別仲が良いチームメイトが数人いるものの、先輩からは「ある程度全員と仲が良い」と言わしめる微妙な立ち位置にいた僕は、留学中帰国後にもう一度自分がチームの中に入れるのか、自分で留学すると決めたことながら気にしていました。
最終的に全員と元通りの関係に戻ることが出来たんですが、その中でも1人、大学入学後から留学中、帰国後もずっと変わらず接してくれたチームメイトがいます。
彼の名前を仮にDとします。
大学に入学し、サッカー部に入部した当初、1年生の中で僕とDを含めた4人が一番上のチームに選ばれました。
しかし、たった1回の練習試合だけで僕とDが下のチームに落とされてしまいました。
それからストレス解消として二人でカラオケに行き、当時曲だけ聞いていた「今、話したい誰かがいる」を歌ったところ。
「え、なに、お前乃木坂わかるの?」
これがDによって僕が乃木坂にハマることが決まった瞬間でした。
それからというもの、練習がない日には二人でボールを蹴り、練習のある日には練習後にカラオケに行きその日の不満を言いながら乃木坂を歌う日々。
結局Dは彼の性格の良さもあり一番上のチームに戻り、試合にも出場するわけですが。
2年生になり、僕もまた一番上のチームに選ばれるようになった頃、僕は留学することを決めます。
そしてその時、あることを彼に言いました。
「4年生になっても一緒にサッカーしよう」
うちの部活は3年生の秋に基本的に引退という形を取り、就活に集中する組とそのまま4年生として部活に残る組に別れるというシステムがあります。
そのため、3年生から主将や副主将が選ばれ、チームの方針を決めていきます。
自分は休学して1つ学年が下になるが、部活の中では恐らく帰国後は同期と同じ学年として扱われるだろうから、3年の秋の後も部活に残ってサッカーをしよう、という意味で発したものでした。
彼は元々大学でサッカーをするなら引退の3年までと決めていたらしいのですが、「わかった」と。
そして僕は渡英。去年の春に帰国。
(帰国5日後にはさっそく彼と生駒卒コンLV見てました。笑)
帰国後復部してからは、僕が一番上のチームの試合に絡み、彼は試合に絡めない日々が続きます。
そして夏頃。
「俺は今年で引退すると思う」
と伝えてきます。
元々サッカーをするのは3年までと決めていた事は知っているし、特に去年は彼は怪我が多い年でもあり、そういう時期なのかなと思ってはいました。
秋に引退。
そして僕はより高いレベルでサッカーをするために別のチームへ。
彼はそのままチームに残ることはしませんでした。
それからも暇があれば二人でボールを蹴っていたし、カラオケにも行っていたし、Dの家にも何回も泊まっていたので、そんなに寂しさは感じませんでしたが。
いつものようにDと二人で飯を食べながら。
その時はまだ今のようにサッカーができない状態ではありませんでしたが、あまり調子が良くなかった時期だったと思います。
ある時、会話の流れでふと僕は聞きました。
「お前、なんでサッカー辞めちゃったの?」
彼はこう答えました。
「お前が部活に残ってたら続けてたよ。」
聞いた瞬間はふざけて誤魔化しましたが、どういう感情か、泣きそうになっていました。
それとまた別の話であり余談ですが、つい先日、部活の一番下のチームの練習試合に参加した時も、引退せずに残っている同期に
「お前はまだ辞めないべきだった」
と言われました。
ここ最近サッカーから離れざるを得ない生活を送っており、チームの試合に絡めない僕にとってはかなりきつい言葉でした。
そして今日。ついさっきまで。
Dにご飯を食べながらそんなことを話しました。
本当はあの時泣きそうだったこと。
ついこの前同期のアイツにあんなことを言われたこと。
辞めない方が良かったかもしれないと思ってること。
もちろん酒を飲みながら、ふざけながらね。
彼はこう言いました。
「それでもお前が決めたことだろ、俺は3年間楽しかったよ」
今回は我慢できませんでした。
酔っ払ってるので文章とか話の流れめちゃくちゃでごめんなさい。
でも今書きたかった。
またちょいちょい編集して文章を変えていきますが、どうか暖かい目で見ててください。
D、またライブ、いこうぜ
答えは 404 not found
突然ですが、僕はウルトラマンと仮面ライダーが大好きです。(本当に突然)
(写真は始発でJR在来線を駆けずり回って応募したのが当たった時の写真。東京駅長室で写真を撮ることができました✌️)
特別な理由は特にありません。そういう家系で育ってきました。
親が大好きなのであれば子である僕も大好きになるのは、まあそうなりますよね。
僕の本名はウルトラマン関係の名前から由来しています。これはマジ。
個人的に気に入っているウルトラマンはガイア、メビウス、X、ジード。家族で推しているのはゼロです。父親がセブン大好きだからね。メビウスインフィニティーver.のメビウスブレスは多分高く売れるやつ。
仮面ライダーで言うと気に入っているのはディケイド、オーズ、ウィザード、ゴースト。最近写真を撮るのにふざけてポーズをするのはドライブとジオウ。ドライブの変身ポーズは劇場版仮面ライダー3号の時のが特にお気に入りです。(伝われ)
まあ知らない方から呪文のような言葉達かもしれませんが、それほどまでに僕は好きだってことです。
小学校中学校と、僕はそれを人に話すことなく生きてきました。バレたらめちゃくちゃいじられるのはわかりきっていたからです。学校も荒れてたしね。
体育祭練習の時間に机と椅子が3階から降ってきたレベルには。これもマジ。
どうやら僕の好きなものは一般的には小学校低学年で"卒業"するらしく、それ以降は子供っぽいものとレッテルを張られる模様。
子供っぽいと言えばその通りなんだけど、そもそも生まれたときから身近にあるものからそう簡単に離れられるかと言われればそうではなく。
まあ大学に入ったらいちいち隠すのもめんどくさい領域になり結構オープンにしてるわけですが。
「いつまでそんなもの好きなの?」「そんなことして何になるの?」っていうのは、趣味などの面において色々な人が言われる言葉だと思います。
アイドルのファンということについてもそうです。
特に親御さんなんて、握手券などで家に詰み上がっていくCDを見てどういう感情なんですかね。うちのは洗脳済みなので特に拒絶反応は示しませんが。(そういうことではない)(個別券はそんなに買ってない)(そういうことでもない)
僕の年は来年就職をする人がほとんどで、ライブなども今年が最後かな〜なんて言っている人もいれば、来年から一人暮らしだからこれまで以上に楽しめる〜なんて人も。
好きなものへの関わり方は人それぞれですが、他人に迷惑さえかけなければ一生好きでいれば良いと思います。
というか趣味なんて生活を楽しくするためにあるオプションみたいなもんなんじゃないでしょうか。別に無くても生きていけるって人もいっぱいいるし。
逆に◯◯が大好きで、別に迷惑をかけていないのに周りから理解されないという人もいるかもしれません。
漫画が原作でNHKでドラマ化された「トクサツガガガ」とかがその例ですかね。自分の趣味を認めてくれない母を持つ特撮オタのOLが主人公の話なんですが、めちゃくちゃ面白いし個人的に考えさせられました。
僕の周りにはありがたいことに、自分の好きなものに対して寛容でいてくれる人が多いです。
でも、身の回りの友達の進路を聞く度に、ふと「俺はいつまでこれが好きなんだろう」って思うことがあります。
別に辞めなきゃいけないとかマイナスの意味ではなく。
サッカーにしてもアイドルにしても、シンプルに、いつまで好きなんだろう。
いつまで好きでいられるんだろう。
好きでいられるとしても、いつまでサッカーして、いつまでアイドルを追いかけるんだろう。
そんなことを考えたリーグ昇格を逃した数日後の夜。(オチはない)
前回のタイトルって秋元真夏を超適当に英訳しただけって気づいた???